比べることをやめたら、毎日が少し軽くなった
去年の夏。友達のインスタを開いた。きれいな海の写真。旅行先で笑ってる自撮り。なんか楽しそうな週末の一コマ。「いいね」を押しながら、なぜか胸のあたりがじわっと重くなった。
別に嫌いじゃないよ、その子のこと。むしろ好きな友達だし、幸せになってほしいと思ってる。だけどあの重さは何だったんだろう、ってずっと引っかかっていたんです。
ある夜、布団の中でぐるぐる考えて、やっと気づきました。「私、比べてたんだ」って。あの子の一番きれいな一枚と、仕事で疲れてぐったりしてた夜の自分を、無意識に重ねてため息をついてたんだと。
比べること自体は、誰でも少なからずやっていることだと思います。でも私は、それが相当な習慣になっていた。今日はそのことを、書いてみようと思います。
誰かの「きれいな部分」だけと、自分の「全部」を比べてた
うわ、改めて文字にするとひどい話ですよね。(自分で言うのもなんだけど。)
友達がインスタにあげてるのは、旅行中で一番テンションが高くて、光の具合も最高だった一瞬です。何十枚も撮った中から選んで、加工もちょっとして、「これだ!」って思ったやつをあげてる。でも私が比べてたのは、その一番きれいな一枚と、仕事が憂鬱な月曜の朝の自分だったんですよ。片方は「人生のハイライトリール」で、片方は「ノーカット全部入りの日常」。そりゃ勝てるわけがないし、そもそも比べるものが違いすぎる。
私の場合は、特に同世代の女性の投稿に引っかかりやすかったと思います。結婚した子、昇進した子、素敵なお部屋に引っ越した子。見るたびに「あ、私まだここにいる」って感覚が、じわじわと積み重なっていった。でも当然ながら、私だって彼女たちには見えていない苦労とか、失敗とか、夜中にへこんでる瞬間とかを全部抱えてるんですよね。それはお互いさまのはずなんです。人生の「きついやつ」も「しょぼいやつ」も、みんな持ってる。ただ、インスタには出さないだけで。
比べるとき、不思議と相手の一番いいところと自分の一番ダメなところを引っ張り出してくるじゃないですか。あのゲーム、最初から設計がおかしい。フェアじゃないんですよ、そもそも。それに気づいてから、少し肩の力が抜けた気がします。
比べグセって、気づいたら「デフォルト」になってた

SNSだけじゃなかったんです、実は。これが問題でした。
仕事の場面でも、「あの子は私より早く仕事が終わってる」「なんであの人は要領よくできるんだろう」って、気づいたら横を見てた。友達とごはんを食べながら話していても、「でもあの子のほうが彼氏がいて」「あっちのほうが年収が…」って、頭の端っこでそろばんをはじいてる自分がいました。
私の場合は、幼い頃から「比べられてきた」経験が積み重なっていたのも関係してる気がします。「お姉ちゃんはちゃんとできてるのに」「あの子を見てみなさい」って。別に親からだけじゃなくて、学校とか職場とか、そういう空気ってあちこちにあったじゃないですか。「あなたは〇〇と比べてどうなの?」っていう評価軸が、気づかないうちに内側に入り込んでたんだと思います。
知らないうちに、人と自分を比べることが「普通の考え方」になっていたんだと思います。比べることで自分の位置を確認する。比べることで危機感を持つ。比べることで「まだ頑張らなきゃ」ってエンジンをかける、みたいな。それ自体は間違いじゃないです。比べることで動ける場面もあるし、焦りが行動力になることだってある。正しい。正しいんですけど、ずっとそのモードで生きていると、じわじわと消耗するんですよね。べつに走りたくない夜も、エンジンが勝手に回ってる感じ。(その消耗に気づくのに、ずいぶん時間がかかりましたけど。)
「なんで比べるんだろう」って、ちゃんと立ち止まってみた

あるとき、また誰かの投稿を見てため息をついた自分に気づいて、「あ、またやってる」と思ったんです。で、そのままスルーせずに、「なんで今私、比べてるんだろう」ってちょっと考えてみることにしました。
答えは意外とシンプルでした。「自分が今どこにいるか、よくわからなくて不安だから」。比べることって、地図みたいなものだったんだと思います、私にとって。自分の居場所を確認するための地図。でも、他人を基準点にして作った地図って、結局どこに向かってるのかがわからなくなってくる。「あの人より上にいる」「あの人よりまだ下だ」って座標は出るんですけど、「で、私はどこに行きたいの?」には全然答えてくれないんですよね。
私の場合は、「比べることをやめよう!」って気合を入れてみたこともありました。これが全然うまくいかなかった。気合でやめようとすると、なぜか余計に気になってくるんですよ。「比べちゃいけない、比べちゃいけない」って思うほど、脳みそが比べることを探してくる。
だから、やり方を変えました。比べそうになったときに「で、私は今何がしたいんだっけ?」「私はどこを目指してるんだっけ?」って自分に問い直すだけ。気合でやめるんじゃなくて、注目先を自分に戻す、みたいなイメージです。最初はぜんぜんうまくいかなかったです。すぐ横を見てる自分がいる。でも「完璧にやめなくていい。気づいたら戻す。それだけ」と思うようにしたら、少しずつ楽になっていきました。
比べるのをやめたら起きた、地味だけど本当の変化
大げさなことは何も起きませんでした、正直に言うと。人生が劇的に変わった!とか、突然モテた!とかじゃない。
でもね…、毎日がちょっと軽くなった。これは本当のことです。
具体的に言うと、まず朝が変わりました。起きてすぐSNSを開いて、誰かの充実した朝を見て、その日の気分が沈む、というパターンがなくなってきた。別にSNSをやめたわけじゃないんですけど、見たあとの重さが違う。「いいね」を押したあとに残る、妙な罪悪感みたいなものが薄くなってきました。
仕事中も、「あの人と比べて私は」って思考が減った分、目の前のことに少し集中できるようになった気がします。自分のペースで考えて、自分の判断で動く、ということが以前より自然にできてきた感じ。
あと、これが一番意外だったんですが、人のことを純粋に「すごいな」と思えるようになってきたんです。私の場合は以前、「すごいな」の後ろに必ず「それに比べて私は」がセットでついてきてた。でも比べることへの意識が変わってからは、ただ「すごいなあ」で終われることが増えてきました。そうなると、人のことが素直に応援できる。友達の嬉しいニュースを聞いて、本当に嬉しいと思える。当たり前のことのようで、ぜんぜん当たり前じゃなかった、って気づいたときはちょっとびっくりしました。こんなにシンプルなことだったのか、と。
地味だけど大きかった変化は、「他人のペース」に乗っかることが減ったことです。30代でこうしなきゃいけない、とか、同世代がこうだから私も急がなきゃ、って焦りが以前より薄くなってきた。「みんながやってるから」じゃなくて「私がやりたいから」で動けることが、少し増えてきた気がしています。
今も比べることはある。ただ「使い方」が変わった

誤解しないでほしいんですが、比べること自体が悪いとは思っていません。
たとえば、尊敬している人や憧れている人を見て「ああなりたいな」と思うのは、前に進む力になります。それは比べることの、いい使い方だと思うんですよね。大事なのは、比べることをゼロにすることじゃなくて、「どこを基準に比べるか」だと気づきました。
私の場合は今、「比べるなら過去の自分と比べる」ことを意識しています。去年の私より少し仕事が丁寧になったか。半年前より自分の気持ちに素直になれているか。うまくできないことにすぐ落ち込まなくなってきたか。そういうことだけを物差しにするようにしています。
他人は他人の人生を生きているし、私は私の人生を生きている。どちらが上でも下でもないし、そもそも向かってる方向が違うだけなんですよね。これを頭で理解するだけじゃなくて、腹に落とすまでに時間がかかりましたけど、腹に落ちたときにやっと「比べることへのエネルギーが減ったな」と感じました。
今でも無意識に比べてしまうことはあります。SNSを見てため息をつくこともある。でもそのあとに「あ、またやってる。で、私は今何がしたいんだっけ」って戻れるようになったのは、大きな変化だと思っています。完璧にやめることよりも、気づいて戻れることのほうが、ずっと大事だから。
比べること自体と戦おうとしていたときより、今のほうがずっと楽です。自分の中に帰ってくる感覚、とでも言えばいいのかな。これがあるから、毎日が少し軽くなった気がするんだと思います。
比べることをやめる、というのは「世間を無視する」ことじゃないんです。「他人の人生を自分の物差しにするのをやめる」ということ。他人のきらきらした一瞬と、自分のぜんぶをならべて測るのをやめたら、毎日が少し軽くなった。本当にそれだけ。あなたの毎日も、もう少し軽くなってほしい。私はそう思っています。
