毎晩、布団の中で反省会をしていた。今日失敗したこと、あの一言が余計だったこと、もっとうまくできたはずのこと。全部ピックアップして、ひとつひとつ検証する。自分で自分を裁く、深夜の独り反省会。

「真面目でいいじゃない」って思うかもしれません。でも当時のわたし、ぜんぜんよくなかったんです。慢性的に疲れていて、ちょっとしたミスで涙が出そうになって、週末なのに全然休んだ気がしない。ストレスと上手に付き合う方法を探して、いろんな本を読んだり、瞑想を試したりもしました。でも何をやっても、根本は変わらなかったんです。

変わるきっかけは、「完璧主義をやめる」ことだったんです。

「ちゃんとしなきゃ」が、じわじわ私を削っていた

私の場合、完璧主義はわかりやすい形ではありませんでした。「絶対に一番じゃなきゃ気が済まない」みたいな、目に見えるタイプじゃなくて。「普通にちゃんとやれてて当然」「失敗したら恥ずかしい」という、小さな基準の積み重ねだったんです。

仕事では、資料のフォントひとつが気になって直し続ける。友人へのLINEは「この言い方で大丈夫かな」って何度も読み返してから送る。料理だって、レシピ通りに作れなかっただけで何となくテンションが下がる。傍から見たら「細かすぎ!」って感じかもしれませんよね。でも私の中では全部、「ちゃんとやらなきゃ」という大前提に紐づいていたんです。

あるとき、仕事で大きな発表がありました。私はその準備のために3週間前から資料を作り始めて、何十回も手直しして。当日は「もっとうまく話せた」「あそこが噛んでしまった」と反省ばかりしていたんです。なのに終わったあと、上司から「よかったよ」って言われて。……うれしいはずなのに、全然素直に受け取れなかった。「お世辞かな」「次はもっとうまくやらなきゃ」って、また自分でプレッシャーをかけちゃう。この大前提が強ければ強いほど、ストレスはじわじわと積み重なっていくんですよね。怖いよね、本当に。

ストレスの正体は、自分が作ったルールだった

完璧主義をやめたら、ストレスが半分になった話

あるとき、仲のいい友人に「最近なんか元気なさそうだね」って言われたんです。「え、そう?」って笑って返したけど、その夜またぐるぐると考えちゃって。「なんであんな返し方したんだろう」「気を遣わせてしまった」「もっと明るく振る舞えばよかった」……。ちょっ、これ、おかしくない?笑 友達に心配してもらったことまで、反省の種にしてるんですよ、私。

ここで初めて「あ、私って自分でストレスを量産してるのかも」って気がついたんです。外からのストレスじゃなくて、自分の中にある「こうあるべき」というルールが、ストレスの発生源だったんですよね。誰に言われたわけでもない、気づかないうちに自分で作り上げたルール。「ちゃんとしてないと価値がない」「失敗したら嫌われる」みたいな、根っこのところにある大前提です。

でもね…。

それって本当に、本当に正しいんでしょうか?

私は長い間、それが事実だと思って生きてきたけど、よく考えたら全部「思い込み」でした。誰かに言われたわけでもない。起こってもいないことへの恐怖を、自分でせっせと育てていたんです。これに気づいたとき、ストレスとの向き合い方が根本から変わりはじめました。

完璧主義を「やめる」って、どういうことか?

誤解してほしくないのですが、「いい加減でいい」ということじゃないんです。「手を抜け」とか「努力をやめろ」とか、そういうことでも全然ない。私の場合、「完璧主義をやめる」というのは、こういう意味でした。「100点を目指すことをやめる」のではなくて、「100点以外は失敗」という認定をやめる、ということ。70点でも、60点でも、「やった」はやった。完成させたなら、それはそれで価値があるんです。

たとえば料理の話をすると、私はずっと「きちんとレシピ通りに作れてこそ」って思っていました。でもあるとき、時間がなくて冷蔵庫の残り物で適当に炒め物を作ったら、夫に「これ、めっちゃうまい!」って言われたんです。……え、じゃあ私の「ちゃんと」って何だったの?笑

こういう体験をひとつひとつ積み重ねていくと、「ちゃんとしなくても大丈夫」が少しずつ実感に変わっていきます。頭でわかっているだけじゃなくて、体感として「大丈夫だった」の経験値が増えていく感じ。完璧主義を手放すのは、頭で決めるんじゃなくて、体験で少しずつ上書きしていくことなんですよね。焦らず、着実に積み重ねていくしかないんです。

「70点でOK」を自分に許可する、具体的な練習

完璧主義をやめたら、ストレスが半分になった話

正直、最初はめちゃくちゃ難しかったです。「まあいいか」って思おうとしても、心のどこかが「よくない!」って叫んでくるから。私がやってみた練習のひとつは、「完成した時点で手を止める」こと。メールの文章をチェックするのは2回まで。資料の見栄えは「読めれば十分」で提出する。家の掃除は「完璧にキレイ」じゃなくて「なんとなくスッキリした」でおわりにする。

最初は本当に気持ち悪かったです!「もう少し直せばよかった…」ってずっとひっかかるんですよ。でもそれを続けてみると、「あ、案外大丈夫だった」が積み重なっていくんです。完璧に仕上げなかったメールへの返信も普通に来るし、ちょっと埃が残ってる部屋でも普通に過ごせる。「大丈夫だった体験」をコレクションしていくイメージで、少しずつ許可を増やしていきました。

それからもうひとつ、私が意識したのは「誰かに話す」こと。しんどい、疲れた、うまくいかなかった、って誰かに言葉にするだけで、かなり楽になるんですよね。黙ってひとりで処理しようとすると、ぐるぐるしてどんどん問題が大きくなっちゃうんです。「完璧に整理してから話そう」じゃなくて、「ぐちゃぐちゃなまま吐き出す」でいい。それに気づいてから、友人への連絡がずいぶん楽になりました。

ストレスって、「感じないようにする」ことじゃなくて、「ちゃんと出口を作る」ことで初めて扱えるようになるんだと思います。

完璧主義をやめてから、変わったこと

完璧主義をやめてから、ストレスが劇的に減りました。「半分になった」って書いたけど、感覚的には「常時のしんどさ」がほぼなくなった感じです。

まず、夜の反省会がなくなりました。布団に入ってから「あれが良くなかった」ってぐるぐるしていた時間が、すっとなくなったんですよね。「今日もいろいろあったけど、まあよかったんじゃない?」って思って眠れる日が増えた。これだけで睡眠の質がぜんぜん違いますよ。

次に、人の目が気にならなくなりました。「あの人にどう思われたかな」って考えるのって、根っこに「ちゃんとして見せなきゃ」があったんだと思うんです。それが薄くなったら、他人の評価への執着も自然と軽くなって。会いたい人に「会いたい」って言えるようになったり、ちょっとした失敗を笑い話にできるようになったり。ちいさな変化だけど、毎日の気持ちが全然違うんです。

あと、これが一番びっくりしたんですけど、仕事のクオリティが上がったんです。完璧主義だったころのほうが、実はアウトプットの質が低かった。「失敗が怖い」から思い切れなくて、結局「ちょっとだけ挑戦した、ちょっとだけ無難な」ものを出し続けていたんですよね。でもね…、怖くなくなったら、面白いものが作れるようになってきた。変なことやってみよう、って思えるようになったから。完璧を目指すより、自由なほうがずっといいんです。それが、私の今の実感です。

まとめ:ストレスと付き合うって、自分を許すことだと思う

完璧主義をやめたら、ストレスが半分になった話

「ストレスと上手に付き合う方法」を探しているあなたに、私が伝えたいのはひとつだけです。自分のルールを疑ってみてほしいんです。「ちゃんとしなきゃ」「失敗しちゃダメ」「もっとうまくやれるはず」……そのルール、いつ誰が決めたんでしょうか?

ストレスの多くは、外からやってくるんじゃなくて、自分の中の「こうあるべき」から生まれているんだと、私は思っています。だから、環境を変えてみても、セルフケアをしてみても、「なんかすっきりしない」ってなる。根っこにある大前提を変えないかぎり、ストレスは形を変えて戻ってくるんです。

完璧主義をやめることは、諦めることじゃないし、いい加減になることでもありません。「失敗しても私はOK」「70点でも今日は十分」って、自分に許可を出す練習なんです。最初は怖いし、慣れるのに時間もかかります。でも、やってみると思ったより大丈夫だよ、本当に。

私はこの2〜3年くらいで、だいぶ楽になりました。まだたまにぐるぐるするし、「もっとうまくできた」って思う夜もある。でも、翌朝にはもう引きずっていない。それだけで十分、だと思ってる。

ストレスと上手に付き合うって、ストレスをゼロにすることじゃない。自分がしんどくなりすぎないように、ちゃんと自分の味方でいること。それだけ。