「自分を好きになりましょう!」「セルフラブが大事です!」「ありのままの自分を愛してあげて!」もうね、こういう言葉を見るたびに、私は窓の外を見つめて遠い目をしていました。だってさ、好きになれるなら最初からなってるよ!?こんなに自分のことが嫌いで、鏡を見るたびに「あー…」ってため息ついて、SNSで他人の幸せそうな投稿を見ては落ち込んで、それでも前を向こうとしてる人間に向かって、「自分を好きになれ」って言うのは、無理ゲーをやらせてるのと同じだと思うんですよね。でもね、最近ようやく、自分を好きになるって、そういうことじゃなかったんだ、って気づいたんです。今日はその話を書きます。長くなるけど、お付き合いください。

「自分を好きになろう」と頑張ってる時点で、もう詰んでる説

これね、私が長年苦しんでいた最大の罠でした。「自分を好きにならなきゃ」って思えば思うほど、「今の自分は好きじゃない」って前提を強化してしまうの。気づいてた?私は気づいてなかったよ。自己啓発本をめちゃくちゃ読んだ時期があって、もう本棚が「自分を愛する系」「自己肯定感を上げる系」の本でパンパンになってたんです。「アファメーションを毎朝やりましょう」「鏡に向かって愛してるって言いましょう」「日記に自分の良いところを3つ書きましょう」全部やった。全部やったよ、本当に。

でも、まったく好きになれないんです。むしろ、「こんなに頑張ってるのに好きになれない自分」までセットで嫌いになる始末。これ、ハマるとマジで抜けられないループでした。「自分を好きになろうとしてる私、偉い」と思いたいのに、「好きになれてない私、ダメ」のほうが勝つんです。鏡に向かって「愛してる」って言ってる自分、シンプルに気持ち悪くて笑えてきたこともあったし。あっ、ごめんなさい、急に冷静になっちゃいました。でもこれが現実だったんです。

そもそもね、「好きにならなきゃいけない」っていう義務感がすでにおかしいんですよ。だって、他人に対して「あなたを好きにならなきゃいけない」って思ってる時点で、もう好きじゃないでしょ?それを自分に対してやってるんだから、うまくいくはずがなかった。これ、けっこう核心だと私は思っています。

20代の私は、鏡を見るたびにダメ出ししてた

自分を好きになるって、こういうことじゃないかと思う

当時の私を思い出すと、もう本当に、よく頑張ってたねって肩を抱きしめてあげたくなります。朝起きて、鏡を見て、「目が腫れぼったい」「肌が荒れてる」「髪が変」「太った?」「あれ、これシワ?」って、毎日チェックリストみたいに自分のダメなところを数え上げてたんです。なんでそんなことしてたのか、当時はわからなかった。でも今になって思うと、「直せば好きになれる」って信じてたんですよね。

美容に投資した。ダイエットもした。服も買い替えた。メイクも研究した。それで多少はマシになっても、結局また別のダメなところを見つけてダメ出しする、っていう無限のいたちごっこ。これね、終わらないんです。なぜなら、目的が「自分を好きになること」じゃなくて、「ダメな自分を見つけること」になってたから。脳みそが「ダメ出し探偵」モードに入っちゃってたの。

あなたもさ、もしかしたら今、同じことしてない?毎朝鏡の前で、自分の何かを直そうとしてる。化粧水はたっぷり、美容液も奮発して、乳液で蓋して、週一でパックもしてる。それなのに、心の中ではいつも「まだ足りない」って思ってる。私はそうでした。本気でそうでした。だから、もし今そうだとしても、責めなくていいと思うんです。私もずっとそうだったから。

自己啓発本を読み漁った日々の終焉

30代に入って、私は気づきました。自己啓発本を読めば読むほど、「足りない自分」を強化してしまうということに。本を一冊読み終わるたびに、「これもできてない、あれもできてない、あー私ダメだ」って落ち込むんです。本の著者さんに罪はないし、書いてあることは正論だらけ。それは認める。正しいんだよ、本当に。でもね…。

正論を浴びれば浴びるほど、追い詰められていく感覚がありました。「毎朝5時に起きて瞑想して日記書いてジョギングして読書して感謝のリストを書いてアファメーションを唱えて…」これを全部やってる人、本当に存在するの?私が知ってる自己啓発フリークの友達も、結局3日でやめてました。なのに、本にはそれが「当たり前」みたいに書いてあるから、できない自分を責めちゃうんです。

ある日、本棚の前で立ち尽くして、こう思いました。「私、これ全部やめたら、どうなるんだろう?」って。怖かったです、すごく怖かった。これがなかったら、何で自分を支えればいいのかわからなかったから。でも、思い切って全部メルカリに出しました。本棚がスカスカになったとき、不思議と心も軽くなったんです。「やらなくていいんだ」って初めて思えた瞬間でした。これ、けっこうターニングポイントだったと思います。

ある日ふと気づいた、決定的なこと

自分を好きになるって、こういうことじゃないかと思う

その夜、お風呂に入りながら、ぼんやり考えてました。「私、なんで自分を好きになりたかったんだっけ?」って。答えは意外とシンプルで、「自分を好きになれたら、楽になれそうだから」だったんです。楽になりたかったの、ただそれだけ。

じゃあ、楽になるために、本当に必要なのは「好きになること」だったの?って自問しました。違うかも、って思ったんです。私が本当に欲しかったのは、「嫌いでもいいから、責めない」状態だったの。好きになる、って高すぎるハードルだった。「中立」でいいんだ、って気づいた瞬間、お風呂のお湯がやけに気持ちよく感じたのを覚えています。

これって、めっちゃ大きな発見でした。「好き」と「嫌い」の二択じゃなかったんです。その間に「べつにどっちでもいい」「あるがまま見るだけ」っていう、第三の選択肢があったの。私はずっと「好きになるべき」っていう一本道を走らされてた気がしていました。でも、ほんとは横道がいっぱいあったんですよね。

あの夜のお風呂の気づきから、私はだんだん変わっていきました。鏡を見ても、「腫れぼったい」と思ったらそのまま「腫れぼったいね」って言うだけ。直そうとも、ジャッジもしない。ただ観察する。それだけ。これだけのことで、心の重荷が半分くらいなくなったんです。本当に、半分くらい。

「自分の機嫌は自分で取る」の本当の意味

よく聞きますよね、「自分の機嫌は自分で取りましょう」って。私はこの言葉、長年誤解してました。「自分で自分を励まして、テンション上げて、楽しくしなきゃいけない」っていう意味だと思ってたんです。だから、落ち込んでるときに無理して「大丈夫!明日があるさ!」って自分に言い聞かせてた。でもそれ、機嫌取りじゃなくて、機嫌のフリでした。

本当の機嫌取りって、もっと地味なものだったの。お腹が空いたらちゃんと食べる。眠かったら寝る。寒かったら一枚羽織る。トイレに行きたかったら我慢しない。これだけ。マジでこれだけ。私はずっと、自分の体の声を後回しにしてたんです。「あとでいいや」「今は仕事優先」「これくらい我慢」って、小さな自己否定を一日に何十回も重ねてた。

これに気づいてから、私は自分の体に正直になる練習を始めました。会社員時代は難しかったけど、それでもトイレくらいはちゃんと行く、お昼は外に出て空を見る、夜はちゃんと寝る、を徹底したんです。そしたらね、不思議なくらい、自分への文句が減っていきました。「私、自分のことちゃんと面倒見てるじゃん」って実感が積み重なっていくの。これ、地味だけど、ほんとに効きます。

嫌いな自分も含めて、ぜんぶが私だった

自分を好きになるって、こういうことじゃないかと思う

自分を好きになろうとしていた頃の私は、「素敵な部分」と「ダメな部分」を切り分けて、ダメな部分を消そうとしてたんです。気が短いところ、嫉妬深いところ、自己中心的なところ、めんどくさがりなところ、そういう「いらない自分」を削除して、「素敵な自分」だけを残せば、好きになれると思ってた。でもね、これ、無理なんですよ。

削除しようとすればするほど、その部分が大きくなっていくんです。心理学的にもそう言われてるみたいだけど、私は体感で知ってました。「嫉妬しちゃダメ」って思えば思うほど、嫉妬が燃え上がる。「めんどくさがっちゃダメ」って思うほど、何もできなくなる。これ、わかる人いますよね?私だけじゃないはず。

あるとき、ふと「嫉妬深い私も、めんどくさがりの私も、けっこう人間味あるじゃん」って思えた瞬間があったんです。きっかけは、友達が私の愚痴を聞いてくれて、「yukoのそういうところ、好きだよ」って言ってくれたこと。「え、そこ?そこ嫌いなところなんだけど」って言ったら、「そこがあるからyukoって面白いんじゃん」って返されて。涙出ました、ふつうに。

嫌いな部分を消すんじゃなくて、「これも私だね」って受け入れる。受け入れるっていうか、もう諦めるに近いかも。「はいはい、こういう人間です、私」って手のひらを返すくらいの軽さ。これができるようになってから、心の中の戦争が一気に減りました。

「ちゃんとしてない私」を許せた瞬間

自分を好きになるって、こういうことじゃないかと思う

私は長年、「ちゃんとした人」になりたかったんです。部屋がきれいで、料理が作れて、貯金があって、化粧が崩れない、みたいな、世間が言うところの「ちゃんとした女性」。でも、現実の私は、部屋は散らかってて、外食だらけで、貯金は微妙で、夕方には化粧が崩れてました。その都度、「あー、ちゃんとできてない…」って自分にダメ出しする日々。

転機は、コロナ禍で家にいる時間が増えたときでした。ずっと「ちゃんとしなきゃ」って思って自分を縛ってたのに、家にいるとそれを見せる相手がいないんです。「あれ、私、誰のためにちゃんとしようとしてたんだっけ?」って疑問が湧いてきました。答えは、「世間体」「他人の目」「親の期待」「SNSでの見え方」全部、自分の外側にありました。私自身は、別に「ちゃんとした女性」になりたかったわけじゃなかったの。

そこから少しずつ、「私はちゃんとしてないけど、それで困ってない」っていう開き直りが始まりました。部屋は散らかってるけど、私は私の散らかり方を把握してる。化粧は崩れるけど、夕方の崩れた顔も別にいいじゃん。料理は作れないけど、お惣菜屋さんに詳しくなった。これ、ぜんぶ私の選択だった、って気づけたとき、初めて自分を許せた気がしたんです。

「許す」って大袈裟かもしれないけど、ほんとそんな感覚でした。「ちゃんとしてない私でも、まあいいよ」って。これだけの一言を自分に言うのに、私は30年以上かかったよ。でも、言えるようになってよかった。心の底から、よかったと思っています。

他人の目を気にしすぎてた話

自分を好きになれない原因の大部分は、他人の目だったって、最近やっと認めることができました。「他人にどう思われるか」を気にしすぎて、本当の自分を見失ってたの。SNSが普及してから、これがさらに加速しましたよね。「いいね」の数で自分の価値を測るような感覚、わかる人いるんじゃないでしょうか?

私は一時期、SNSの投稿一つ一つに神経を使いすぎて、しんどくなったことがあります。写真の角度、キャプション、ハッシュタグ、投稿時間、ぜんぶ計算して、「いいね」が伸びるかどうかをモニターして。伸びなかった日は、「私の人生、ダメなのかな」とかバカみたいなことまで考えてた。今振り返ると笑えるけど、当時は本気だったの。

そこから抜け出せたきっかけは、ある日、SNSをまる一週間休んでみたこと。最初の3日は禁断症状でソワソワしてたけど、4日目くらいから、「あれ、私、誰の目も気にしないで生きるとこんなに楽なんだ」って気づきました。誰にも見られてないって、こんなに自由なことだったんだ、って。

それから、SNSとの距離感を調整するようになりました。投稿はするけど、いいねの数は見ない。コメントには返すけど、無理して頑張らない。他人の投稿は楽しんで見るけど、比較はしない。これ、最初は意識しないとできなかったけど、今は自然にできるようになってきました。他人の目を気にする習慣って、長年かけて染みついたものだから、抜けるのも時間がかかるんです。焦らなくていいと思います。

自分との約束を守る、という地味な練習

自分を好きになるって、こういうことじゃないかと思う

自分を好きになるための具体的な方法って、ないようでありました。私が一番効いたなと思ってるのは、「自分との小さな約束を守ること」です。これ、地味すぎてバズらない話なんだけど、本当に効きます。

たとえば、「今日は22時に寝る」って決めたら、それを守る。「明日の朝、ストレッチをする」って決めたら、3分でいいからやる。「今週はジムに2回行く」って決めたら、行く。こういう、小さな約束を自分とちゃんと守っていくと、自分への信頼が積み重なっていくんです。「私、自分との約束ちゃんと守れる人だな」っていう実感が、土台みたいに積まれていく。

逆に、自分を信頼できない人って、自分との約束をたくさん破ってきた人だと思うんですよね。私もそうでした。「明日からダイエット」って言って3日でやめる。「来週から早起き」って言って忘れる。これを繰り返すたびに、「私の言葉って信用できないよね」って自分で自分を信じられなくなっていきました。気づかないうちに、自分のことを最低の友達みたいに扱ってたの。

友達が約束を100回破ってきたら、もう信用しないでしょ?それを自分に対してやり続けたら、自分のこと信用できなくなって当たり前。だから、まず小さな約束から守る。守れる範囲のことだけ約束する。これだけで、自分との関係性は劇的に変わります。私は今、毎朝5分のストレッチを365日続けてます。たった5分。でもこれが、私の自信の根っこになってるんです。

「好きじゃなくてもいい」が、結局いちばん優しい

結論を先に言いますね。私は今、自分のことが好きかと聞かれたら、「うーん、好きとは言い切れないかも」って答えます。でも、嫌いでもないんです。「自分とずっと一緒に過ごしてきた相棒」みたいな感覚。好きでも嫌いでもない、ただの長い付き合いの相手。これが、私にとっての「自分との関係性」のゴールでした。

「自分を好きになろう!」っていうメッセージが世の中にあふれてるけど、あれ、ハードル高すぎだと思うんです。だって、好きって、けっこう特別な感情でしょ?毎日見てる自分のことを「好き」だと感じ続けるって、そりゃ難しいよ。たまに「ここは好き」って思える瞬間があるくらいで、十分なんじゃないかな、って今は思っています。

大事なのは、「嫌いな自分を責めないこと」「好きになろうと無理しないこと」「自分とちゃんと付き合っていくこと」この3つだけ。これ、私の中での結論です。あなたがもし、今「自分が好きになれない」って苦しんでるなら、まずは「好きにならなくてもいいよ」って自分に言ってあげてほしいの。これが、最初のスタートライン。

「好きじゃなくてもいい」って認めた瞬間、不思議と、自分のいいところがちらほら見えてくるんですよ。これがね、皮肉なんだけど、ほんとなの。好きになろうとしてる間は見えなかったものが、諦めた瞬間に見える。人生ってそういうものだったんだな、って最近よく思います。

自分を好きになるって、こういうことじゃないかと私は思う

自分を好きになるって、こういうことじゃないかと思う

長々と書いてきましたけど、結局のところ、自分を好きになるって、何か特別なことじゃなかったんです。劇的な変化でも、革命的な気づきでも、奇跡のメソッドでもない。ただ、自分のことを「ひどい扱い」しないこと。それだけ。

朝起きてダメ出ししない。お腹空いたらちゃんと食べる。眠いなら寝る。嫌いな部分も「これも私」って認める。他人の目より自分の感覚を優先する。小さな約束を守る。失敗しても責めすぎない。これを毎日少しずつ積み重ねていくと、いつの間にか、自分と仲良くなってる感じがしてくるんです。「好き」じゃなくて、「仲良し」。これが私の答えでした。

仲良しの友達のことって、別に毎日「好き!」って思ってなくない?「いるのが当たり前」「一緒にいて楽」「変なところもあるけど、まあそういう人」って受け止めてる。自分との関係性も、そんな感じで十分なんですよね。むしろ、そっちの方が長く続くんです、きっと。

もしあなたが今、「自分を好きになれない自分」を責めてるなら、その責めるのを今日でやめてみてほしい。やめるだけ。やめるだけでいいの。やめた先に、ふっと軽くなる瞬間が必ず来ますから。私が保証します。だって、私がそうだったから。これが、私が「自分を好きになる」について、今のところ言える、いちばん正直な答えです。長くなっちゃったね。最後まで読んでくれて、ありがとう。