盛り塩の歴史を調べていたら、思いがけないところにたどり着きました。

最初はただの「お清め」の話だと思っていたんです。でも掘り下げていくうちに、中国の皇帝の后宮の話が出てきて、古事記の神様の話が出てきて、飛鳥時代の文化交流の話まで出てきた。気づいたら夜中の2時でした(笑)。

盛り塩ってなんとなく「日本の昔からの風習」だと思い込んでいる方も多いと思います。私もそうでした。でも実は、その起源をたどると、日本と中国の文化が思わぬ形で絡み合っていて、それが今の形になっているんですよね。今日はその話をしたいと思います。

盛り塩の起源は、実はふたつある

結論から言うと、盛り塩の起源には大きくふたつの流れがあると考えられています。

ひとつは、日本の神道に根ざした「塩による清め」の文化。もうひとつは、中国の故事に由来する「縁起を引き寄せる」という考え方。このふたつがどこかの時点で日本で交わって、今私たちが知っている「盛り塩」という形になった——というのが、私がたどり着いた理解です。

「え、ふたつ?」と思いましたよね。私も最初そう思いました。なんとなく、盛り塩といえば神社とかお清めとか、純粋に日本の神道文化のものだと思い込んでいたんです。でも調べてみると、文化の成り立ちって、思っているよりずっと複雑で、それがまたすごく面白い。

ひとつずつ見ていきましょう。

神道における塩——古事記にまでさかのぼる「清め」の歴史

盛り塩の歴史をたどったら、神道と中国の意外な接点が見えてきた話

日本において塩は、古くから「清める力を持つもの」として扱われてきました。その記録は、現存する最古の歴史書のひとつである古事記にまで登場します。

黄泉の国(死者の世界)を訪れたイザナギノミコトが、地上に戻った後に海に飛び込み、身を清めたという場面があります。海水、つまり塩水で穢れを祓った、というわけです。これが日本における「塩=清め」という大前提の、もっとも古い記録のひとつとされています。

この感覚、現代にもしっかり残っていますよね。相撲の土俵で力士が塩をまくのも、お葬式から帰ってきたときに玄関で塩をひとつまみするのも、全部この流れの上にあります。日本人の暮らしって、気づかないところに神道の感覚が深く染み込んでいるんです。

私の場合は、祖母が昔からお葬式の後に必ず玄関で塩をまいていて、それを見て育ちました。当時は「なんでそんなことするんだろう」くらいに思っていたんですけど、古事記まで遡るとわかると、なんか急に「そういうことか!」ってなりますよね。何千年も続いてきた感覚が、おばあちゃんの手から私に届いていたんだと思うと、じんとします。

盛り塩も、この延長線上にあります。玄関に塩を盛ることで家の入り口を清め、邪気が入らないようにする——というのは、この神道的な「塩の清め」の感覚とまっすぐつながっているんです。

中国から来た「牛車と塩」の故事——これが面白いんだよ

さて、もうひとつの起源が中国の故事です。これがまた、ものすごく人間くさい話で、私は大好きなんです。

舞台は中国・晋の時代(3〜4世紀ごろ)。当時の武帝という皇帝は、後宮にあまりにも多くの后(きさき)を持っていたため、毎晩どの后のもとへ行くか決めるのに「牛車で後宮の中をまわって、牛が止まった部屋の后のところで夜を過ごす」というスタイルをとっていたそうです。

どこで止まるかわからない。いつ来てくれるかもわからない。后たちにとっては、毎晩がドキドキの待ちぼうけだったわけです。そこで、あるひとりの后が考えました。「牛は塩が好きで、塩のあるところで足を止める」——それなら、自分の部屋の前に塩を置けばいい!と。

牛が塩に引き寄せられる。牛車が止まる。皇帝がやってくる。

……完璧な作戦ですよね!? この話、初めて読んだとき「何千年も前の女性なのに、やることえげつなくて天才じゃないか」って思いました(笑)。この故事が「盛り塩=縁起のいいものを引き寄せる」という概念の発祥のひとつとされていて、商売繁盛のお店の玄関に盛り塩を置く習慣とも関係しているんだとか。

「お清め」という神道的な意味とは全然違う、「引き寄せ」の文化として盛り塩があった——ということを知ったとき、なんか盛り塩のイメージがぐっと広がった気がしました。

ふたつの文化が日本で交わったとき

盛り塩の歴史をたどったら、神道と中国の意外な接点が見えてきた話

ここで少し歴史の話をさせてください。

中国文化が日本に大きく流入してきたのは、飛鳥・奈良時代(6〜8世紀)のことです。仏教、漢字、律令制度……さまざまな文化が大陸から渡ってきた時代です。「盛り塩」という風習も、この時期に中国から日本に伝わってきたのではないかと考えられています。

でもね…ここが面白いところなんですけど、日本にはそのとき、すでに「塩には清める力がある」という感覚が根付いていたんです。神道の文化として。

だから中国から「縁起を引き寄せる塩」の概念が入ってきたとき、日本ではそれがすんなり受け入れられたんじゃないかと私は思っています。だってもう「塩は特別なもの」という土台が、日本側にもちゃんとあったわけだから。

実際にどのタイミングでどう混ざり合ったのか、文献で明確に証明するのは難しいようです。でも「お清め」と「引き寄せ」、ふたつの意味が自然に重なっていった背景には、どちらの文化圏でも「塩には力がある」という共通の感覚があったことが大きかったんじゃないかと思うんですよね。文化って、土台が似ているところには、自然と馴染んでいくんだと思います。

私の場合、この話を知ってから、盛り塩をするときの気持ちが少し変わりました。以前は「なんとなくお清めになるかな」くらいの感覚だったのが、「ここにはこんな長い歴史の流れがあるんだ」と意識するようになって、なんかもう少し丁寧に扱いたいな、と思うようになったんです。

「正しい盛り塩」への問いを、いったん脇に置いてみる

盛り塩について調べていると、必ずこういう情報に行き当たります。「粗塩を使わなきゃいけない」「三角錐か円錐かで意味が違う」「置く場所によって効果が変わる」——などなど。

私もはじめはこういう情報に振り回されて、けっこう力んでいた時期がありました。形が崩れたら意味がないのか? 向きが違ったら逆効果なのか? こんな塩でいいのか? と、置くたびにぐるぐる考えてしまって。

でも歴史をたどってみると、「盛り塩の正しいやり方」って、実はかなり後の時代になってから体系化されたものが多いんですよね。中国の故事の后は、ただ牛が好きな塩を置いただけです。神道の清めの塩も、最初は「海水」でした。形も場所も、時代と文化と人の工夫の中で少しずつ変わってきたものなんです。

「これが絶対に正しい」という唯一の答えがないのは、それだけ長い歴史の中でいろんな人の思いが積み重なってきたからでもあると、今は思っています。だから私は今、あまり型にこだわりすぎず、「清めたい」「良いものを引き寄せたい」というシンプルな気持ちで盛り塩をするようにしています。その方が、続けられるし、気持ちが入る気がして。

歴史を知ると、盛り塩が愛おしくなる

盛り塩の歴史をたどったら、神道と中国の意外な接点が見えてきた話

古代中国の后が、愛する人を引き寄せようと部屋の前に塩を置いた。イザナギノミコトが黄泉の穢れを海の塩水で清めた。全然違う文化圏の、全然違う物語なのに、どちらの根っこにも「塩には特別な力がある」という人の感覚がある。

そのふたつの流れが日本で出会って、今私が玄関に置いている小さな塩の山になっている——と思うと、なんかものすごくロマンがあると思いませんか?

歴史って、難しいものじゃなくて、「人がずっと同じことを願い続けてきた記録」だと、私は思うんですよね。清くいたい、幸せになりたい、大事なものを守りたい——何千年たっても、人の願いの形は変わらない。盛り塩の歴史をたどると、そのことがじわっと伝わってきます。

これを読んでくれたあなたも、次に盛り塩をするとき、ちょっとだけこの話を思い出してもらえたら嬉しいです。そうすると、あの小さな塩の山が、今より少しだけ愛おしく見えてくると思うから。それだけで、盛り塩の効果は何倍にもなる気がします。これが私の、盛り塩の歴史研究の、答えです。