「全部やらなきゃ。ちゃんとしなきゃ。もっとうまくできるはず。」そんな言葉が毎日頭の中でぐるぐる鳴り続けていて、気づいたらヘトヘトになっていました。これ、全部私の話です。

ストレスって、外から降ってくるものだとずっと思ってたんですよね。仕事が忙しすぎるとか、嫌なことが続いているとか、環境のせいだと。でも違ったんです。ストレスの根っこは、ほとんどが自分の内側にありました。「完璧にやらなきゃ」っていう大前提が、全部の元凶だったんですよ。これに気づくまでに、何年もかかってしまって。ちょっと長くなりますが、お付き合いください。

完璧主義だったころの私

わかりやすく言うと、私は「全部100点じゃないと気が済まない人」でした。仕事はちゃんとやる。家の中は整理しておく。人との約束は絶対に守る。体型も管理する。食事もちゃんと作る。友達への連絡もさぼらない。「ちゃんとした人間」でいるための「べき」が、びっしり並んでいたんです。

当時の私に「それって大変じゃない?」と聞いたとしたら、たぶん「え、普通じゃないの?」と答えていたと思います。それが標準だと思っていたから。ちゃんとやれている人が「普通の人」で、やれていない自分は「ダメな自分」という図式が、頭にずっと染みついていたんですよね。

だから、何かひとつでもうまくいかないと、ものすごく落ち込む。「なんでできなかったんだろう」「もっとやれたはずなのに」ってぐるぐるする。休日に少しだらだらしてしまった日は「もったいないことした」ってなるし、友達への返信が遅れた日は「ちゃんとした友達じゃない」ってなるし。そのぐるぐるが、じわじわとエネルギーを削っていくんですよ。気づいたら、朝から晩まで「足りない自分」への責めが頭の中で鳴り続けている状態になっていました。これが、私にとってのストレスの正体でした。

「全部うまくやらなきゃ」が、いちばんしんどい

完璧主義をやめたら、ストレスが消えた話

完璧主義の人って、「高い基準を持っている人」というよりも、「失敗を許せない人」のほうが近いんじゃないかと思っています。

私の場合はまさにそれでした。「もっとよくしたい」という前向きな気持ちよりも、「失敗したら恥ずかしい」「ダメだと思われたくない」という恐れが、行動の動機になっていたんですよ。だから頑張れば頑張るほど、なぜか苦しくなっていく。達成しても「でもまだ足りない」ってなるし、うまくいかなかったときの落ち込みは深いし。報われない感じ、ありませんでしたか?

やがてエネルギーが底をついてくるんです。何もしたくない。でも「何もしていない自分」も責める。「疲れたと感じている自分はダメだ」とさらに追い打ちをかける。この多重構造のしんどさが、いちばんきつかったです。「もう疲れた」と思ったとき、ようやく「あれ、私って何のために頑張ってたんだっけ?」ってなったんですよね。その問いが、変化のきっかけになりました。

ストレスの正体に気づいた日

あれは何でもない平日の夜でした。仕事は特別忙しいわけでもなく、嫌なことがあったわけでもない。なのに、夕飯を作りながら急に泣けてきたんです。理由がわからなくて、それがまた怖くて。「あ、これはちょっとまずいな」と思いました。

そのとき、ふと考えたんですよ。私って今日、何かひとつでも「まあいっか」ってできたっけ?……できてなかったんですよね。朝からずっと「ちゃんとしなきゃ」で動いてた。ご飯も栄養バランスを考えて作って、仕事もミスがないように何度も見直して、帰り道のスーパーも「野菜が足りてないから」って計算して。全部正しい。全部ちゃんとしてる。でも楽しくない。余裕がない。

「完璧」を追いかけることに全部のエネルギーを使っていたんだ、とそこで気づきました。ストレスの原因は環境じゃなくて、自分自身の「ちゃんとしなきゃ」という大前提にあったんですよ。これ、気づいてみればシンプルなんだけど、渦中にいるときはまったく見えなかった。泣きながら作った夕飯が、私に教えてくれたことでした。

完璧主義をやめるって、どういうこと?

完璧主義をやめたら、ストレスが消えた話

勘違いしてほしくないんですが、「完璧主義をやめる=いい加減になる」ではないんですよ。ここ、大事なところです。

私が変えたのは、「基準を下げる」ことじゃなくて、「失敗に対する解釈を変える」ことでした。うまくいかなかったとき、「やっぱりダメだ」と責めるのではなく、「まあ、そういうときもあるか」と流す練習をしたんです。最初は全然できなかったですよ。「流そう」と思いながら、やっぱりぐるぐるする。それでもいいんです。「流せない自分を責める」のだけはやめようと決めて、そこから始めました。

あとは、「70点でいい日」を意図的に作るようにしました。今日の料理は手抜きでいい日。掃除は見て見ぬふりでいい日。仕事の返信は明日でいい日。そういう「許可の日」を設けるだけで、体がゆるむのがわかります。びっくりするくらい変わるんですよ、これ。

それから、「なんで私はこれをやらなきゃいけないと思ってるんだろう?」とひとつひとつ掘り下げてみました。そうすると、「別にやらなくてもよかった」「誰かに言われたわけじゃなかった」ということが、思ったよりずっとたくさんあって(これが本当に驚きでした)。自分で勝手に「ちゃんとしなきゃ」のルールを増やしていたんだな、と気づいたんですよ。ルールって、作るより壊すほうがずっと難しい。でも壊し始めると、景色が変わります。

ストレスと上手に付き合う、私なりの方法

完璧主義を手放してから、ストレスとの付き合い方がだいぶ変わりました。「ストレスをゼロにしよう」から、「ストレスに気づいて、逃がす」に切り替えた感じです。

私がいちばん効いたのは、「ぐるぐるする時間を決めること」でした。何か気になることがあったとき、「今日の22時まではぐるぐるしていい。でも22時になったら今日は終わり」というルールにするんです。あほみたいに聞こえるかもしれないけど、かなり効果がありましたよ。「いつまでも考えちゃいけない」というストッパーをかけると、逆に頭が煮詰まっていく。「今はぐるぐるしていい時間」と決めると、なぜか落ち着きます。不思議でしょう?

あとは、「これって今日の私にどうにかできることか?」という問いを持つようにしました。今日の私にどうにもできないことを考えていても、エネルギーが消耗するだけなんですよね。未来のこと、他人のこと、すでに起きたこと。それらは今日の私にはどうにもできない。そこに使うエネルギーを「今日の私にできること」に回す。それだけで、かなり気持ちが軽くなりますよ。

それから、「疲れた」「しんどい」というサインを、見て見ぬふりしないようにしました。完璧主義だったころの私は「疲れている暇はない」と自分に言い聞かせながらやり続けていたんです。でも、そのサインを無視すればするほど、体と心は追い詰められていく。「疲れた」はダメなことじゃないんですよ。「今、休憩が必要です」という体からのメッセージなんです。素直に受け取るようになってから、ストレスが爆発する頻度がぐっと減りました。

体を動かすことも、私の場合はかなり助かりました。頭でぐるぐるしているとき、とりあえず外に出て10分歩くだけで、不思議と頭の中が静かになるんですよね。「考えながら歩く」んじゃなくて、「歩くことだけに集中する」のがポイントです。足元を見て、風を感じて、それだけ。それだけで、だいぶ違います。

完璧じゃなくても、大丈夫

完璧主義をやめたら、ストレスが消えた話

でもね…、「完璧主義をやめよう」と思っても、簡単にはやめられないですよね。私もわかります。何度も「今日こそ手を抜こう」と思いながら、気づいたらまたぐるぐるしてたから。

だから、最初から「やめる」と思わなくていいと思っています。ただ、自分が「ちゃんとしなきゃ」ってなっているとき、「あ、また始まった」って気づくだけでいい。それだけで、少し距離が取れます。完璧主義を消すんじゃなくて、完璧主義と自分の間に、ほんの少し隙間を作る感じですよ。

ストレスと上手に付き合うって、ストレスをなくすことじゃないんですよね。ストレスがあってもいい、しんどい日があってもいい、うまくいかない日があってもいい。それを「あってはいけないもの」として戦うのをやめたとき、はじめてストレスが「付き合えるもの」になると私は思っています。

完璧じゃなくても、あなたは十分やってる。それだけ。本当にそれだけでいいんですよ。