比べることをやめたら、毎日が少し軽くなった話【誰かの人生を生きるのは、もう卒業】
「あの子はもう結婚してる」「同期がまた昇進した」「SNSの友達、また海外行ってる」。気づけば誰かと自分を並べて、勝手に凹んで、勝手に焦っている。そんな毎日、ちょっと疲れませんか?私、yukoも長年ずーっとそうでした。ランキング表の中に自分を無理やり押し込んで、毎日順位を気にして生きていたんです。でもね、ある日ふと「あれ、これやめたらどうなるんだろう?」と思って、比べることを意識的に手放してみたんですよ。そしたら驚くほど、毎日が軽くなりました。今日はそのお話です。
比べることが「向上心」だと信じていた時代
ずっと思ってたんです。人と比べるからこそ、人は成長するんだって。負けたくない気持ちが原動力になって、努力できる。だから比較は正義。比較は成長のエンジン。そう信じて疑わなかった。
中学生の時は学年順位、高校生の時は偏差値、大学では就活の内定数、社会人になったら年収と肩書き。毎回、わかりやすい数字が目の前にぶら下がっていて、それを誰かと比べては一喜一憂していたんですよね。しかも厄介なことに、比べて勝った時の快感が忘れられないんです。「あの子より上」って思えた瞬間の、あの妙な満足感。
でもね、ある時気づいちゃったの。比べることで得られる快感って、実はめちゃくちゃ短いんですよ。5分もしたら消える。そしてすぐ次の「負けてる誰か」が目に入ってきて、またザワザワする。永遠に終わらないマラソン。これ、向上心じゃなくて、ただの依存症だったんじゃない?って。
比べることで伸びる部分も確かにあります。でもそれと引き換えに、自分の心はずっと削られていた。この「削られてる感じ」を無視して頑張り続けた20代の私に、今なら言ってあげたい。「ちょっと待って、その物差し、本当にあなたのもの?」って。
SNSを見るたびに凹む自分がイヤだった

インスタを開くと、誰かの結婚式。Twitterを開くと、誰かの書籍出版。Facebookを開くと、誰かの海外赴任の報告。ちょっwww 情報量が多すぎるんだがwwww しかもみんな、キラキラしすぎ。こちとら部屋着のスウェットでスマホいじってるだけなのに、画面の中の人たちは全員フルメイクで乾杯してる。比較対象にすらならない、みたいな気持ちになったこと、ありませんか?
私、一時期ほんとうにSNS開くたびに気分が落ちてたんです。「あの子、また褒められてる」「私の投稿、全然いいねつかない」。勝手に順位をつけて、勝手にランク外になって、勝手に落ち込む。そのくせ手放せない。寝る前も、起きてすぐも、スマホを握りしめてた。
でもある時、気づいたのです。SNSで流れてくる情報って、みんなの「ハイライト集」なんですよね。編集された、いちばん美しい瞬間だけを切り取ったもの。それを私は自分の「ノーカット編集の日常」と比べていたわけです。そりゃ負けるよ。最初から試合にならない勝負だったんですよ。
今は、SNSを見る時間を意識的に減らしています。朝と寝る前は見ない。これだけで、ほんとうに心が凪ぎました。
「誰かの正解」を自分の人生に貼り付けていた
比べることをしていた頃の私は、いつも「誰かの正解」を探していました。有名ブロガーが「これがいい」と言ったスキンケア。インフルエンサーが「これが最強」と言ったモーニングルーティン。成功した先輩が「これをやれ」と言った自己投資。
全部、やりました。全部、続かなかった。だって、私のじゃないんだもん。
誰かの「正解」は、その人にとっての正解でしかありません。私にとっての正解じゃないんですよ。そんな当たり前のことに、長年気づけなかったんです。なぜなら、自分で選ぶのが怖かったから。「私はこれでいい」って決める勇気がなかったんです。
だから比べるんですよね。比べれば、選ばなくて済むから。誰かの真似をしていれば、失敗しても「あの人のやり方が悪かった」って言い訳ができる。私は、自分で選ぶ責任から逃げていただけだったのです。
これに気づいた時、ちょっと涙が出ました。情けなくて。でも同時に、ホッともしたんです。だって、もう他人の正解を追いかけなくていいって決められたから。
比べるのをやめた、最初の一歩は「小さなこと」から

いきなり「よし、今日から誰とも比べないぞ!」なんて決意しても、そんなの無理なんですよ。人間の脳みそは、比較するように出来てるらしいので。
だから私は、小さなことから始めました。たとえばスーパーでお惣菜を買う時、「隣の人はサラダチキン買ってる。ヘルシーで偉い。私は唐揚げ…」みたいな比較が頭に浮かんだら、「はい、ストップ」って心の中で言うだけ。それだけ。
もうひとつやったのは、「今日食べたものを、SNSと比べずに味わう」という練習。カフェで出てきたラテを、インスタ映えするかどうか判断するより先に、ひと口飲んで「あ、おいしい」って思う。これがね、最初は意外と難しかったんですよ。いつのまにか撮影用の角度を探している自分がいて。
こういう小さな「比べない練習」を、3週間くらい続けました。そしたらね、不思議と心のざわつきが減ってきたんです。
比べ癖って、要するに思考のクセなんですよね。クセだから、ひとつひとつ丁寧にほどいていけば、ちゃんと変えられるんです。
「劣等感」と「憧れ」はちゃんと区別する
比べるのをやめよう!と言っても、憧れまで捨てる必要はないんですよ。ここ、誤解されがちなところです。
劣等感と憧れは、似てるけど全然違うのです。劣等感は「あの人が羨ましい、私はダメ」で終わる。憧れは「あの人素敵、私もああなりたい、じゃあどうしよう?」と次の行動につながる。同じ感情の出発点でも、着地点が真逆なんですよね。
私の場合、以前は劣等感ばかりでした。「あの人、文章上手だなあ。私なんて全然…」で終わってた。でも今は、「あの人の文章、好きだな。どこが好きなんだろう?私もその要素、取り入れてみたい」って考えるようにしてます。
比べているんじゃなくて、学んでいる。主語が「私」になってるかどうかが、分かれ目なんですよね。
憧れの気持ちは大事にしていいんですよ。それは自分の「こうなりたい」を教えてくれるセンサーなんだから。劣等感だけ、そっと手放していけばいいの。
「勝ち負け」の軸から降りると、見える景色が変わる

人と比べる生き方って、要するに「勝ち負けの世界」で生きるってことなんですよね。誰かに勝てば嬉しい、負ければ悔しい。このゲームを一生続ける。
でもね、このゲームには致命的な欠陥があります。絶対に終わらないってこと。そして、絶対に全勝できないってこと。世の中には上には上がいて、下には下がいる。どこに自分を置いても、必ず「もっと上」と「もっと下」がいるのです。
だから、このゲーム盤から降りるしかない。「勝ち負け」じゃなくて「自分の進み具合」を見るほうが、はるかに幸せになれるって、最近やっと気づいたの。
去年の私より、今年の私は少し優しくなれたかな?先月の私より、今月の私は少し健康かな?昨日の私より、今日の私は少し落ち着いているかな?比べる相手が「過去の自分」になった瞬間、世界がとても静かになりました。
誰の邪魔もしていない。誰からも邪魔されない。自分のペースで、自分の道を歩いてるだけ。この感覚、ほんとうに軽いんですよ。
実は「比べてくる人」からも距離を置いた
自分が比べるのをやめても、周りには比べてくる人がいます。「〇〇ちゃん、結婚した?」「お給料いくらなの?」「貯金どのくらい?」こういう質問、平気でしてくる人、いますよね。
私ね、以前はこういう質問にまともに答えて、その度にモヤモヤしていたんです。でも気づいたんですよ。比べてくる人って、自分の不安を埋めるために他人の情報を集めてるだけなんですよね。悪気はない。でも、こちらの心は削られる。
だから私は、そういう人とは物理的に距離を取るようになりました。連絡を減らす、会う頻度を減らす、SNSでフォローを外す。これ、薄情に聞こえるかもしれないけど、自分の心を守るために必要な作業だったんです。
そのかわり、「あなたはあなたのペースでいいよ」って言ってくれる人との時間を増やしました。友達の数は減ったけど、満足度はぐっと上がった。人間関係ってね、量じゃなくて質なんですよ、結局。
比べないでいてくれる人との時間は、ほんとうに栄養になります。そういう関係を、大事にしたい。
「人と違うこと」が怖くなくなった

比べることをやめると、副産物として「人と違うこと」への恐怖が消えていきます。これ、びっくりするくらい楽になるよ。
私はずっと「みんなと同じ」であることに安心を感じていました。みんなが持ってるバッグ、みんなが行ってるお店、みんなが言ってる意見。そこからはみ出すのが怖かったんです。だって、はみ出したら「負ける」から。比べられて、笑われるから。
でも比べるのをやめたら、「みんな」って誰?という疑問が湧いてきたのです。みんなって、結局、私の頭の中にいる幻想の集団じゃない?って。現実には、それぞれ違う価値観で生きている個人がいるだけ。「みんな」なんて存在しないんですよ。
そう気づいてから、私は自分の好きなもの、自分の意見を、少しずつ表に出せるようになりました。流行ってないものを買ってもいい。みんなが絶賛してる映画をつまらないと言ってもいい。それで人間関係が壊れるなら、それは最初からそこまでの関係だったってこと。
自分の「好き」に素直になれると、毎日がうんと楽しくなりますよ。ほんとうに。
成果が出ない時期も、自分を責めなくなった
比べる生き方をしていた頃の私は、成果が出ない時期にものすごく自分を責めていました。「なんで私だけ進めないんだろう」「みんなはもっと先に行ってるのに」。この焦りが、さらに動けなくさせるんですよね、悪循環。
でも、比べる物差しを手放したら、「成果が出ない時期にも意味がある」ってことが、ようやく実感として入ってきました。
植物だって、ずっと花を咲かせてるわけじゃないでしょう?土の下で根を伸ばしてる季節がある。地味で、誰にも見えない。でもその時期がなかったら、花は咲かない。人間もおんなじなんだと思うのです。
今の私は、動けない日があっても「根を伸ばしてるんだな」と思えるようになりました。比べないから、焦らない。焦らないから、丁寧に過ごせる。丁寧に過ごすから、自分を大事にできる。いい循環に入れたのです。
成果主義の世界では評価されない時間こそ、実は人生の土台を作ってくれる時間だったりする。そう信じられるようになったのは、比べるのをやめた、大きな恩恵だと思ってます。
「今の私」を肯定することが、最大の豊かさ

比べることをやめて、いちばん変わったのは何かって言うと、「今の私」への見方なんですよね。
以前の私は、いつも「もっとこうなりたい」「もっとこうだったら」と、今の自分を否定することから出発していました。未来の理想像と今を比べて、差分を埋めるために焦って生きてた。これ、幸せになれないシステムなんですよ、よく考えると。だって、理想に追いついた瞬間にまた新しい理想が生まれて、永遠に「今の私はダメ」って言い続けることになるから。
今の私は、まず「今の私、わりと悪くない」って肯定することから1日を始めます。完璧じゃないよ?全然完璧じゃない。欠点だらけ。でも、ここまで生きてきた。ちゃんと朝起きた。ご飯食べた。仕事もまあまあ頑張った。それだけで、十分。
この「それだけで十分」感覚が身につくと、世界が驚くほど優しく見えます。他人への目も優しくなる。「あの人も、あの人なりに頑張ってるんだろうな」って、自然に思えるようになる。
比べるのをやめるって、つまり、自分にも他人にも優しくなる練習だったんです。
それでも時々、比べちゃう日があってもいい
ここまで偉そうに語ってきましたけど、私だって今でも時々比べちゃう日はあります。完全に比べない人間にはなれていません。人間だもの。
でもね、比べちゃった時に「あー、またやっちゃった、私ダメだ」って二重に落ち込むのは、もうやめました。比べちゃった、よし気づいた、じゃあ元に戻ろう。それだけ。
癖を完全にゼロにする必要なんてないんですよ。気づけるようになっただけで、大きな進歩なんです。自分の心の動きを観察できるようになった、それが何より大事。
比べる自分も、比べない自分も、どっちも私。どっちも受け入れる。そうやって、少しずつ、自分と仲直りしていってるのが今の私です。
完璧じゃなくていい。揺れていい。ただ、自分を傷つける方向じゃない方を、少しずつ選んでいけばいいのです。
私はこう思う:比較は手放すより「薄める」ほうがうまくいく

最後に、私の結論を言わせてください。
比べることを「完全にやめる」のは、正直むずかしいです。人間の脳の仕組み上、たぶん無理。でも、「薄める」ことはできる。比べる時間を減らす、比べる相手を選ぶ、比べる物差しを変える。こういう小さな工夫を重ねていくと、気づいた時には、毎日がふっと軽くなっている。
私にとっての豊かさって、高級品を持つことでも、有名になることでもありませんでした。朝起きて、「あ、今日はわりといい気分だな」って思えること。それだけ。
これがね、比べることを薄めた先に手に入った、いちばんの宝物なんですよ。
あなたも、もし毎日がちょっと重いなと感じているなら、まずひとつ、比べる癖をほどいてみませんか?小さなひとつからでいいのです。世界は、自分の心の持ち方次第で、いくらでも優しくなります。ほんとうに。
今日もあなたが、あなたのペースで、機嫌よく過ごせますように。
